利用者のお孫さんと不倫してる話⑪

「もしもし、本沢さん」
「ジャムさん、おはようございます」
「おはようございます。朝早い時間から大丈夫でしたか?」
「大丈夫です。逆にこれくらいの時間の方が都合が良いですね」
「やっぱり塾は忙しいですか?」
「そうですね。塾生が長期休みのときは忙しいですね。1月2月は受験シーズンですから。とくに冬休みは元旦と大晦日以外は毎日仕事ですよ」
今は12月半ば。本沢さんはこれから仕事が忙しくなる時期と聞いてなぜか残念な気持ちになってしまった。
会うつもりはなかったけど心の奥底では会いたい気持ちがあったのかもしれない。
「あれ?もしもし?ジャムさん?大丈夫ですか?」
「あ?え?大丈夫です」
私は無意識のうちに数秒間黙り込んでいたらしい。
「お休みって全くないんですか?」
私は突然何を言っているんだろう。口にした後で気付いてしまったけどそれを戻すことは出来ない。
「普段は週2休みですが受験シーズンになれば週1休みです」
本沢さんの意外にも普通に答えてくれた。それと同時に私の心は安心感に包まれた。そして私は自分の本沢さんに会いたい気持ちがあることも気付いてしまった。
本沢さんに今度会いませんか?って聞いたらどうなるだろう。結婚してから異性にそういったことを聞いたことがないからどう聞けばいいかもわからない。でも、連絡先を渡してきたのは本沢さんだから本沢さんから声をかけてほしい。そんなことを私は考えていた。
「ジャムさんも週2日休みなんですか?」
本沢さんは続けて私にそう聞いてきた。もしかして私と会うためにそう聞いてきたのかな。
「そうです。でもシフト制なので特定の曜日が休みってことはないんですよ」
「介護業界はそうですよね」
「あ、でも事前に申請すれば週2日の休みをいつにするかは選べますよ」
口にした後で気付いたけど休みを選べるなんて言ったんだろう。これでは会える日は選べますよって言っているみたいなものじゃない。自分の顔が赤くなっていくのがはっきりわかった。
「そうなんですね。ぼくは長期休みとその前後以外は火、金休みなんですよ」
と言うことは受験シーズンが終われば火曜日と金曜日なら会えるってことで良いんだよね。
本沢さんに確認するかのように心の中でそう言った。
受験シーズンは3月の上旬頃までだからそれまで本沢さんは忙しいことになる。私は電話をしながら頭の中で考えた。
「これからが1年で1番忙しい時期になりますね。」
多分この言葉は声のトーンが少し下がっていたと思います。
「確かに忙しいですけど、生徒達のことを考えれば受験の結果によってこの先の将来を左右かもしれませんからね。全力で取り組まなきゃ塾生達に申し訳ないですよ。」
「本沢さんは仕事熱心なんですね。」
「それはありがとうございます。」
10年程前、結婚する前に夫が今の本沢さんと似たようなことを言っていたことを思い出した。
そのときは夫の仕事熱心なところが好きになり、付き合い始めた。
きっと私は仕事熱心な男性に惹かれ易いんだと自分で思った。
今電話で話している本沢さんもかっこよく思える。
それと同時に先日の本沢さんとの初めて電話したときにした相談事を思い出した。
「そういえば、本沢さん。先日相談させてもらったことの続きですが。何度もすいません。」
「そんなことありませんよ。教育方針のことですよね。」
「えぇそうです。私は大学へは進学してないので、学歴の大切さについてはよくわからないんですがやはり学歴って少しでも高い方がいいんですかね。」
私は受験というものをよく知らない。専門学校に落ちる人はほとんどいないし、高校も誰でも入れるような高校だったし、当然中学校は公立だし。何より、学歴で困ったことがない。
「塾生にも伝えいてることですが、ぼくの考えは学歴は少しでも高いほうが良いと思います。でも、それより大切なのは他人の役に立つことだと思います。学歴はそのための便利な道具ってところですね。」
本沢おばあちゃんが以前言っていた。将来人の役に立つことをしなさいと孫に教えていると。本沢さんはおばあちゃんからの教え通りにしている。いや、教えられたからそう言っているのではなくきっと本沢さんの本心なんだろう。
夫と本沢さんは同じ教育者だけれど片方は自分のステータスための学歴。もう片方は他人のための学歴。
「だから人の役に立ちたい気持ちがなければ、学歴なんかあっても仕方ないと思っています。」
と本沢さんは続けた。